

京懐石料理「菊乃井」の主であり、「和食」のユネスコの世界文化遺産登録に尽力された日本料理の伝道者として内外から注目されている村田吉弘氏にご講演いただきました。
今回の講演のお話は、上柿元副会長が菊乃井にいらした折にいただきました。上柿元副会長とはフランス修行時代からのお付き合いです。
先日、日本料理が世界文化遺産に登録されましたが「日本料理も世界文化遺産として登録すべき」と最初に主張したのはアラン・デュカス氏でした。そこで、私は日本料理アカデミーの理事長として、ユネスコに電話をし、日本も申請したい旨を話しましたが「日本が文化として認めていないものを世界に認めろということか」と言われました。料理屋は文化財保護法の範疇ではなく、風営法の管轄に入ります。文化功労賞や文化勲章の対象にもなりません。だから文化として認められていないという見方もあるわけです。「日本国が文化と認めていなかったら登録できませんか」と聞いたら「そんなことはない。できます」とお返事をいただきました。「しかしNPOからは申請できないので国からお願いします」とのことです。そこで、関係省庁に手紙を書くなどしましたが何の音沙汰もありません。韓国が宮廷料理で申請書を出したことが聞こえてきましたが、こちらは進展せず、申請書も出せずに手をこまねいているうちに東日本大震災がおきました。しかし、アジアの最初の登録が韓国の宮廷料理になるのはまずいと思い、京都知事にお目にかかって相談しました。政策官も一緒に考えていただいた結果、メディアを集めて嘆願書を出すことになりました。テレビや新聞に報道していただき、その3日後には知事がメディアを連れて各省庁を訪問しました。こうして国民が周知することになったとたんに各省庁が動き出し、検討委員会ができて熊倉功夫先生が座長となり、私もメンバーに入りました。
問題は具体的に何を登録申請するかでした。「茶懐石」という案も出ましたが、茶懐石を実際に食べたことがある人など日本人の数%に過ぎないでしょう。それではいけないと考えました。「へしこ」「フナ寿司」「味噌汁」などいろいろな案がありましたが、「日本中が恩恵をこうむり、第一次産業の輸出に貢献でき、世界へ日本料理を強くアピールできるもの」ということで、熊倉先生が「和食でいこう」と強く推されました。ローマ字でWASHOKUです。
登録した内容は
四季の情感を料理に盛り込んである
素材の持ち味を大切にしてある
栄養バランスが非常によい
国民の生活と非常に密着している
この4つです。
四季のある国で季節の情感を料理に盛り込まない国はあまりないですし、「西洋の料理は肉に野菜が添えてあるだけで季節がない」という見方には賛成いたしかねます。また、素材の持ち味を大切にしない料理も世界中に存在しないと思います。しかし、強い主張がありましたのでこの形で進めることになりました。栄養バランスについては、昭和40年位には、世界中で一番バランスがとれた食事を摂っているのが日本人でした。もう過去の話になりつつありますが、世界から見ればまだまだ栄養バランスは優れています。最後の「国民生活と密着している」、これが決め手でした。日本全国北から南まで、正月には雑煮をいただきます。山形などの芋煮会、鶴岡の寒鱈まつり、長崎くんちではアラを食べ、京都の祇園祭で鱧をいただくというように、和食は、庶民の生活と密着しているということが評価されて文化遺産登録されたのです。これはたいへんありがたいことで、第一次産業の産物を海外に輸出していく上で必要なことでした。
一口に日本料理といいましても色々ですし、日本人の認識も一様ではありません。世界に向けて「和食とはどういものか」を説明するのは大変難しいことです。私の友人は「御所の有職料理、僧侶の精進料理、茶懐石、おばんざいなどがあいまって独特の発展をしたもの」と説明しますが、それでは海外には理解されません。
大型の霊長類である人間やゴリラなどは生態系を守るように体が作られいて、1日に30種類くらいのものを摂取します。小動物はエネルギーを補給するだけなのでいつも同じものを食べますが、コアラがユーカリの葉を食べるように人間が同じものだけを食べたらその相手の種は絶滅してしまいます。また、赤ちゃんはお母さんのおっぱいを生後3カ月まで飲み続けます。飽きて飲まなかったら死んでしまうから飽きないような秘密がおっぱいにはあるのです。それは、油脂と糖質と旨み成分が含まれていることです。これらには快感物質ドーパミンを分泌させる働きがあり、また食べたくなる性質を持っています。糖質はどこの国で摂取します。また、料理に関してはほとんんどの国で油脂を中心に構築されていますが、ただ1カ国だけうまみを中心にしているのが日本です。
日本は明治維新までは魚鳥以外の肉を食べず、油脂は貴重なため主に灯りなどに使用し、料理に使うのは難しかったという背景があります。食材が限られるのは御所も同様で、夏の京都は暑く、地理的にも海の鮮魚は使えず、川魚、干魚と野菜だけしかありません。こうした公家や御所の方々に仕えていたのが私たちの先輩にあたる京料理のもとを作った料理人たちです。御所などでは昼に2時間、夜は3時間かけて食事をしました。限られた食材でそれに耐えるだけの献立を構築するのは大変です。しかし、御所には乾物は豊富に届いていました。北海道で7〜8月に採れる昆布は北前船なら駿河に11月、陸路なら12月に到着します。そこで春まで保存され、よりおいしくなります。この蔵囲いは今も駿河で行われています。京都で使う昆布は礼文島の香深湾で採れる利尻昆布です。鰹節は枕崎や土佐から届きました。こうした御所で発達した食文化が後に庶民の間に広がっていったのです。鰹節から出るイノシン酸、昆布からとれるグルタミン酸で約8倍の旨みを得ることができます。精進料理の場合はグルタミン酸と干し椎茸に含まれるグアニル酸の相乗効果で16倍の旨みをかもし出します。これが日本料理のだしで、ゼラチンや油脂分を含まないためカロリーがゼロです。このだしの旨みを他の食材に添加していくのが日本料理の手法で、他に類を見ません。懐石料理はデザート前までの全品目65種類で約1000キロカロリーです。フランス料理は平均で23品目2500キロカロリーです。デザートは含みません。イタリア料理は19品目で2500キロカロリーです。先日、安部首相とフランスで、ミシュランの星がついている日本人シェフのレストランに行きましたが、料理にはソースが添えられず、あっても野菜のピュレで、日本料理を思わせました。世界的に「旨みとは何か」が注目され、「どのように抽出し、どう料理に添加するか」を世界中のシェフが知りたがっています。
デンマーク「ノーマ」のレネシェフ、ロンドンのヘストン・ブルメンタルシェフ、アストランスのパスカル・バルボシェフなどは、うちの店でスタジェをした人たちで、皆だしをひきます。レネシェフはトナカイの後ろ足をボイルし、寒中に干して鹿干を作っています。さらに、デンマーク大学と協力してデンマークの海草でグルタミン酸を抽出できるものを見つけ出し、それからだしをひいています。だしの旨みを中心に構成すれば、形はどうであれ日本料理といえると私は思っています。
京料理のもう一つの特徴は寸法です。「一献どうぞ」と言いますが、「一献」は何ccでしょうか。口中体積における食品の割合は暗黙のうちに決まっています。その基本は杯の容量である15cc。ぐい飲みの容量は30ccで、口に納まりきらないので上をぐいと向くからぐい飲みの名がつきました。抹茶のひしゃくは利休の時代から変わらず、すり切り1杯で約200ccです。いっぱいに入れたらこぼれますから180ccくらいを掬い、それを半分茶碗に入れるので90〜100ccということになります。抹茶茶碗と、飯茶碗、どんぶりの大きさはどこにも定義されておらず、ファジーですが、それが日本文化です。90〜100ccの液体が入って底が見えず、きれいな形に見えるのが抹茶の茶碗です。人間の胃袋は容量が約1キロですが800cc食べたら大体満足するので、どんぶりいっぱいは約800ccになっています。すべからく京都の場合、寸法というものが決まっています。また、フロアの文化なので床に座ってご飯をいただきます。スプーンは平安時代からあり、これで掬って飲もうとするとこぼれるから手で器を持ち上げます。男性と女性では手の大きさが違いますから器の大きさを変えないと持ちにくいため、椀の寸法は男が4寸、女3寸8分と決まり、夫婦茶碗になります。食器に性別があるのは日本だけですが、その寸法に合わないと違和感があるものです。茶懐石で出てくる大きなお椀は4寸2分あります。照明がない暗いところで蒔絵の大きなお椀が出てくれば、これがメインディッシュだと自然にわかります。湯飲みの大きさも男女で違います。男2寸6分、女2寸4分が最大です。これ以上だと持ちにくいのです。茶筒は2寸6分あります。それより大きいものには必ず引き手がついています。刺身と御造りは今は同義語ですが、昔は鯛でも平目でも一つの大きな皿に盛り、平目か鯛かわかるように尾鰭か胸鰭を身の横に刺したので、これを刺身といいます。御造りはものを何かの寸法に合わせて切ることをいいます。1切れは12グラムから15グラムにします。1辺の長さは口の大きさ、1寸、3.3cmです。これ以上になると噛まなければなりません。ですから「一口大」は1寸、3.3cmなのです。これより大きいほうがおいしいもの、例えば竹の子などは、噛んだ時の柔らかさがおいしさにつながるので、1寸5分、4.5〜5cmに切ります。
刺身でも鯛は身がぷりぷりしているので小さめの12グラムに切ります。12グラムを5貫入れると60グラムで、大きい卵1個分。大きい卵1個をのせてバランスが取れる器を「向付」と呼びます。お茶事の主菓子は約45グラムあります。45グラムのものが入ってバランスが取れる大きさと60グラムが入ってバランスが取れる大きさは違うので、器の大きさはもちろん違います。菓子皿に御造りが盛ってあるとしっくりしませんし、サービスのつもりで刺身をやたら大きく切ったりすると田舎臭く見えるものです。それを人間工学的に突き詰めていくと京料理になります。美術に造詣が深く洗練された京都の人々の美意識を満足させるために、私たち料理人はこうした決まりごとを感覚として覚え込んできました。京料理には焼き物などすべてにそうしたルールがありますが、お時間もなくなりましたのでそれはまたの機会にいたします。