活動内容

留学生の声

留学が料理人としての大きな転機に

留学期間・研修先
Salle a´ manger deHisashi WAKISAKA オーナーシェフ 脇坂尚さん(46歳)

Salle a´ manger deHisashi
WAKISAKA
オーナーシェフ
脇坂尚さん

研修期間・研修店
2002年5月〜10月
■Tastevin (Paris)
■larivoire 1ツ星 (Lyon)


フランス料理ができる環境に感謝

フランスでの研修は技術的には日本で学んできたことの確認でしたが、速度、完成度、仕事量の違いに驚きました。なにしろお客の数が多く、50人くらいを数人のスタッフでこなすわけです。日本で勤めていた地方のホテルでは、フランス料理が出ることは実はあまり多くなかった。ですからフランス料理人として今まで学んだことが実践でき、フランス料理が毎日つくれる環境はありがたかったですね。 就業時間は2軒とも9時から15時までで、掃除が終り3時間休憩、18時に出勤して終わるのが24時くらい。日本では街場の店だったら9時出勤は遅いほうです。ディナーの始まる時間も早いですから、ランチがあると休憩が取れません。そういう点では日本より楽ですね。


フランス人とのコミュニケーション

当初、フランス語はほとんど話せず、料理の言葉ならなんとかなるだろうと、現場に入ってみたものの早くて聞き取れず、最初は全く動くことができませんでした。その日の夜、フランス語の教室を紹介してほしいとシェフに頼み、週に2回フランス語を勉強。パリでの3ヵ月間は、次の研修場所へいくための準備として有意義でした。
リヨンでは1番少ない時のスタッフは、シェフ、コミ、パティシエ、アプランティの4人。ほとんどスーシェフの仕事を任されました。アプランティはまだ戦力にはならないので、シェフが買出しから戻る11時までにコミと僕とで賄いの準備をし、ランチの仕込みもしました。パリではスタッフがある程度いて、それほど重要な役割はなかったので、リヨンの方が勉強になることが多かったですね。


ランゲージバリアを乗り越えよう

タスト・ヴァンのシェフが名前で呼んでくれるまでに2ヵ月かかりました。ひとえに言葉が原因だと思います。言葉のできない外国人は向こうにとってもストレスなはず、自分から働きかけないと何も始まらない。賄いを買って出るのでもいい。日本でも同じことですが、新しい職場では自分を知ってもらうための努力が必要です。タスト・ヴァンではスーシェフが、とてもよくしてくれてコックコートを交換する仲になったし、リヨンでもメートル・ドテルとは休みのたび一緒に料理をしていました。

都市と地方の住まい環境の認識も大事

ラリヴォワールのシェフとスタッフ

ラリヴォワールのシェフとスタッフ

地方へ行くとジョルジュ・ブラン、コート・ドールのような有名なレストランでも、周りは何もないですから大抵レストランのすぐ近くに宿舎があります。パリやリヨンやマルセイユなど都市の中心部になるとなかなかそうはいかない。幸い日本エスコフィエ協会では、宿舎つきという条件で紹介してくれました。タスト・ヴァンはパリ郊外で、バスを利用するか歩いても15分くらいでした。パリの三ツ星ホテルで研修するとしたら宿舎はないので、ホテル住まいするしかありません。滞在期間や経済的な面も考えて研修先を選択する必要がありますね。

本場のリヨン料理を日本に

料理雑誌フレンチデリ&シャルキュトリーにもとりあげられた一皿「カワカマスのクネル」

料理雑誌フレンチデリ&シャルキュトリーにも
とりあげられた一皿「カワカマスのクネル」

ラリヴォワールは1ツ星の店、料理はモダンですがつけ合わせなどにリヨン料理の伝統を残しています。おいしい料理は絶対受け入れられる。まだあまり出す店のないリヨンの地方料理で勝負しようと考え自分の店をオープン。留学は大きな転機になりました。
信頼できる日本エスコフィエ協会に迷わず申し込み、研修先はアドバイスしてくださった日仏料理協会の宇田川会長にお任せしました。ホテルにいれば安定した将来があったけれど、後悔したくなくて39歳で一大決心で勤めを辞め留学を決めました。フランスで修行してきたというキャリアは、店を開くためにも今や当たり前、自分で道を切り開いていくための動機づけになりました。
一番大きかったのはやはり宇田川会長からいろいろなレクチャーを受けたこと。留学をきっかけとして会長と知り合えたことは大きなことでした。